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求む!森の循環を守り、価値を生み出す「山の活人」

更新日:2021年8月25日



現在、愛媛県松野町は6つの切り口から地域おこし協力隊を募集中!

今回はその中でも、山をフィールドとしたミッションを紹介。

課題は、山の循環システムの維持と拡大。自らを『これからの林業のモデルケースにする」ことに興味がある方を探しています。


 

コンパクトな山系のふもと、小さな森の国から


『愛媛県で一番小さい町』松野町は、人口が約3600人。真珠とじゃこ天で有名な宇和島から車で25分ほど山へ入ったところにある。港町からほど近い山間部ということで、四季を通じて海と山、両方の幸が食卓を彩る。


▲昼夜の寒暖差が大きいため、野菜は甘味が強い


▲町内で捕獲された鹿は、町内の加工所で製品化


多様で高品質な食材の秘密は、松野町と宇和島湾の間にコンパクトに収まる『鬼が城山系』にある。沿岸部から直線距離にしてたった3キロで1000mを超えるこの山々に降った雨が深い森に染み込み、厚い土壌の中で森の水となる。栄養がたっぷり溶け込んだ、いわば『森の濃縮液』だ。それが川を伝って、一方は湾へ、もう一方が内陸側の里山へ流れ込んでいる。


湾に注ぐ濃縮液は植物プランクトンから動物プランクトン、小魚から大型魚へと形を変えて食卓へと運ばれ、里に注ぐ濃縮液は森と川と田畑の生き物を育み、それぞれの幸となって食卓へ並ぶ。


そんな、周辺一帯の生態系を支える“巨大な循環ポンプ”のような山々のふもとにあるのが、松野町だ。自然好きと食いしん坊にはたまらない場所と言っていい。



また、松野町は高知との県境にも位置し、古くから交通・物流の要衝として栄えた宿場町でもあった。その背景もあってか、いなか町でありながら外部からの刺激に寛容で、新しいものに敏感な気風がある。


▲「西日本で初めて最新の消防車を導入したの、うちやけん」

と得意げに語る地元のおじいちゃん


実際、いち早く中等教育にPCを導入し、小学校入学と同時に1人に1台タブレットを配布するICT教育の先進地だ。農業では目下、ドローンやIoTを取り入れた「スマート農業」を開拓中と、抑え切れないフロンティアスピリッツが随所に垣間見える。


▲先人たちの開拓精神の結晶、「奥内の棚田」

国の「重要文化的景観」にも指定されている


一方で、広がる風景と日常はThe・牧歌的ないなか町だ。

犬の散歩をしていたら藪から狸が顔を出したり、川べりに立つだけで魚が集まったり、パン屑でもあげ始めればトンビまで現れ、そのパンを投げ上げれば見事にキャッチして去っていくような場所。


自然との距離はもちろん、人との距離にも『古き良き』が残る。夏には、帰宅したら玄関に野菜が積まれていることもしばしば。「いるだけ取りやあ」と、ぴちぴちの鮎がどっさり乗った軽トラで近所を回る釣り名人。花壇の水やりから始まる井戸端会議に、その周りで遊ぶ子供たち。



「松野町は、未だに地区ごとに消防団やサロン、各種集いが機能しており、町を巡る用水路の清掃を筆頭に『みんなの仕事をみんなで行う』慣習が息づいています。そんな町を覆う自営自治の空気が、自然と人、人と人の間を取り持ち続けているのかもしれません。」


そう語るのは、松野町役場で7年に渡り協力隊担当を続ける、土居孝二郎さん。


「都会にはない良いものは守り、田舎にない良いものは取り入れる。その守りと攻めの両方を担うのが『松野町地域おこし協力隊』です。」


松野町は現在、6つの切り口から新規隊員の募集している。

その一つが、今年新たに開設されたミッション「森林を守り育てる事業」だ。



森の最前線、山のリアル

                          

森の国の山仕事は、陽の差す時間、チーム作業で行われる。


▲危険の伴う現場では、チーム内の信頼関係が第一


▲切り出され、集材所に並べられた材木


▲乾燥で縮む木材は、積み上げるのにもコツがいる


伐採作業の、一本一本の工程はあっという間だ。これと決めた木の下にスタンバイすると同時に、頭上と周囲をひと見渡し。チェーンソーが数十秒吠えた後にすかさず反対側からくさびが打ち込まれ、コオーン!コオーン!と木こりの音が林に響き渡るともう木は傾き、物凄い風圧を伴って地面に倒れ込む。


そこから先は重機の出番だが、この重機がすんなり入り込める現場ばかりではない。そういう時は「作業道づくり」から着手することになるが、行き当たりばったりで道を作っても効率が悪い。最初に林全体を見渡し、伐採する木をまず『頭の中で』全て切り倒してみる。その時の『木が倒れ込む場所』をなるべく一筆書きでなぞっていくように道を整備していくと、最も効率的な作業道が出来上がる。


木を切る腕だけではなく、林や地形の性質を見極める目も必要な仕事だ。



そんな林業の花形である伐採作業に留まらず、他の現場で伐採された間伐材の買い取り、そこからの製品加工、そして販売までを一手に担っているのが、松野町林業の最前線にいる『森の国まきステーション』の人たちだ。今回募集している協力隊員の受け入れ団体でもある。


普段は拠点である『森の国まきステーション』で材の受け入れと薪の製造を主に行い、依頼が入れば専用重機を出し、自ら山に入り間伐を行う。


先代から受け継いだものの自力では手が回らず、かといって荒山にはしたくない山の所有者にとっては、用材にならないような間伐材の伐採から搬出・買取りまで引き受けてくれる“まきステ”は、まさに山の駆け込み寺だ。実際、間伐材の『年間受け入れ量』は順調な右肩上がりを続けている。本格的に運用を開始した2016年度の368.6tから3年後には510.5tまで増加した。


しかしそれでも、『町内で間伐を必要としている森林全体』から見たとき、この数字は1%にも満たない量だという。残りの99%は、長らく人の手から離れたまま、成長しきれない細い木々が密集する森になっている。木と木の間隔が狭いため、空は枝葉で覆われ、昼間でも真っ暗な空間だ。


間伐が進まない背景には、国内産の材木価格の低迷が大きく横たわっている。いくら駆け込み寺と言えど、市場価格から逸脱した値段で買取りはできない。結果、山の所有者は『良くてプラマイ0』での依頼にならざるを得ないのが実情だ。



 


「なんちゃ、赤字でもかまんけん山に手を入れちゃる」と思うには、お金以上の山への想い入れや責任感が必要になってくる。その下地になる『山との記憶』を受け継いでいくには、あまりに時代の流れが激しすぎた。


特別な記憶がなければ想い入れや責任感も生まれにくい。離れていった子世代を苦労の山に呼び戻すわけにもいかず、残された当事者たちにも高齢化の波が容赦なく押し寄せる。こうして、ゆっくりと確実に進行してきた『山の当事者の減少』が、森の国が抱えている課題だ。

一度手を入れた山から人が長く離れてしまうと、里山のバランスはいろんな場所から崩れていってしまう。鳥獣の被害はもちろん、土壌の保水力低下による土砂災害の危険も高まる。巡り巡って、松野町の宝である清流の水質や生態系も失われかねない。それは町の基幹産業である農業にとっても死活問題だ。動かしたくても動かせない山を前に、危機意識は最高潮に達している。 だが、そんな状況を林業関係者や町が何もせずに手をこまねいていた訳ではない。むしろそこはフロンティアスピリッツの松野町、15年前から次なる土台作りに注力してきた。全国でも珍しい駅舎内の温泉「森の国ぽっぽ温泉」がその象徴だ。


元々は灯油を燃料に冷鉱泉を沸かしていたが、森の状況に対応してボイラーを「薪用」に切り替え、町内産の薪を主に使った木質バイオマス温泉へとシフトした。


薪は温泉を沸かすに留まらず、町を飛び出し、ふるさと納税の返礼品として全国の松野町応援者の元にも届いている。丁寧に乾燥・選別・加工された薪は火持ちが良く、心地よい燃え方をすることで評判だ。 供給先の拡大に伴い、最新重機の拡充も進めてきた。


▲1時間で1トンの薪を生産できる自動薪割機


また、次世代へ『山の記憶』を残す取り組みとして、『木育』という形で教育の現場にも手を伸ばしている。


▲町木でもある『ひのき』を使って、地元の職人が一つ一つ組み立てた学習机と椅子


▲町内唯一の保育園の子供たちへ送られる、町産木材を使ったオリジナル積み木


いつ勝負の時がやってきても良いように、その時できる準備を着々と進めてきた。さらに2年前に国が打ち出した新たな「森林経営管理制度」が追い風となり、いよいよ山が再び動き出す時がきている。町内で先陣を切って進む“まきステ”にとっても、来年は挑戦の年。その転換期に勢いと広がりを持たせるキーパーソンが地域おこし協力隊として迎え入れる人物であり、「あなたかもしれない」という訳だ。



受け手を待ち続けてきたバトン


松野町の林業のこれからを語る上で、素通りできない人物がいる。つい3年前まで町内の目黒地区で林業法人を経営していた『吉福林業』の代表、吉福さんだ。

目黒という場所は、林業がまだ山と人の営みの中心にあり、地域経済を支える大黒柱だった頃の記憶を最も色濃く残しているエリアだ。


▲国立公園「滑床渓谷」のふもとに広がる、松野町目黒地区


その目黒で吉福林業は、国内産木材の価格低迷を受けて林業従事者が次々と山から手を引いていく中、法人としては最後の一人になるまで山に手を入れ続けた。また、事業を畳む直前まで次世代の育成の手を緩めなかった。『森の国まきステーション』が次の波の最前線だとすれば、『吉福林業』はかつての大波の中で最後まで“しんがり”を務め上げた会社だ。


「ほんのひと昔前まで、ここらで家を建てたい奴はみんなまず山を買って、その木を切って売ったお金で家を建てていた。」山のようにどっしりと落ち着いた声で、当時の様子を語ってくれた。


曰く、約40年前当時、林業を営む人は大勢いたが、そのうち法人はごく少数で、ほとんどが地域に暮らす一個人だったそう。『林業を営む』といっても家業や生業のようなお堅い感じはない。はたまた『林業従事者』という程の意識もない。ただただ、そこに暮らす全員にとっての身近で確かな糧(かて)だった。


とにかく山がある、そして切ったらちゃんと売れる。だったら山を仕入れて、自分たちで伐採して市場へ運び込めばいい、というシンプルでスケールのでかい林業が『個人単位』で当たり前に成立した時代。


そんな背景に支えられ、秘境のような目黒の地に多くの人達が移り住んだ。立ち並ぶ家々に、憩い場となる商店。飲食店も賑わった。



 


「当時はみんな木を切って潤っていたから、地元の店で遅くまで呑んで騒いで、帰り道では誰かがあぜ道から落ちるもんだから、みんなで引き上げて帰ったよ」と、愉快なエピソードもこぼれた。


ちなみに、『孫のために植える木』と聞くと普通、生まれた時に庭先に植える記念樹的な苗木を一本思い浮かべるが、この頃の目黒では『孫の代でちょうど伐採・出荷時を迎える財産』として山にどっさり植えていたらしい。

さてその財産が、その後どうなったか。引退して自由な時間が増えた吉福さんが、日課にしている『山の目利き散歩』の中でその答えを見つけていた。


「あそこの山の一角にも、伐採期を迎えたままの上等な木が生えそろっていた。あれはもったいない。」


間引きの過程で出る細い間伐材と、それを経て立派に育った主伐材とでは取引価格も変わってくる。この『本格的な利用期を迎えた人工林の増加』は全国的な傾向だ。平成29年の段階で、50%の人工林が50年生を超えてきており、その影響から、平成25年からの4年間で全国の林業従事者の平均給与(年間)が40万円の増加を見せている。この明るい最新動向が、先に取り上げた『森林経営管理制度』を国が打ち出した背景の一つにもなっている。


(令和2年10月林野庁発行資料 『森林・林業・木材産業をめぐる情勢について』 より抜粋)



松野町も例に漏れず、町内の人工林全体の約45%に当たる2922haが50年生を超える木々だ。また、人工林化を免れてきた『天然林』も32%もの割合で残っており、そこには杉よりも単価の高い広葉樹や銘木も眠っている。


「松野町の林業は、これから。」


森の国には、苦しい時期を越えて価値を持った財産と、かつての山と人の記憶が確かに残っている。あとは、山で待つそのバトンを文字通り『宝の山』として見れるかどうか。風向きは確実に変わってきている。



森の国のこれから


“まきステ”にとって挑戦の年となる来年、2015年11月より任意団体として運営されてきた『森の国まきステーション』が法人化へと踏み出す。


そんな節目のタイミングで協力隊の受け入れを行うことに決めた“まきステ”の山田秀樹さんに、「どんな人物に来てほしいか」を尋ねてみた。




「とにかく山に興味があるかどうかやね。一口に“山”といっても中に生えている木も様々で、同じ種類の木でも周辺環境や条件によってまるで違う。そういう自然の多様さに、面白みを感じながら向き合える人に来てほしい。」 林業経験の有無については、 「いっさい、問いません。うち(まきステ)は、近隣の森林組合さんとかに比べたら規模が小さい。今いる二人のスタッフもまだ始めたばかり。小さい団体だからこそ、それぞれの段階にあった技術習得のステップを用意できてると思う。基礎の基礎から丁寧に始めて、もしここで学べる以上のレベルに届きそうになったら、連携している団体や研修も紹介できる。」 山での仕事に留まらず、ステーションでの材の受け入れや製品加工、販売まで一つながりで林業を体験できるのも、大きな魅力の一つだ。 「ここでは、切り出された材の“その先”を考えることも重要。だから、木材を活かした製品アイディアや、販売方法の開拓など、そういうことに興味や強みを持っている人だったら、なお大歓迎です。どんな小さなアイディアでも受け取るし、一緒に検証していきたい。外からの感性に期待しています。」 気になる体力の問題はどうか? 「そりゃもちろん必要やけど(笑) そんな過酷な重労働じゃない。自分も前職の長距離トラックのドライバーからこの仕事へ移った時、最初は相当しんどかった。けど、体は自然と慣れてくもん。それに何より健康的。昼間でも真っ暗だった林が、木を切るごとに陽が差し込んで明るくなっていくのとかを、全身使って感じられるいまの仕事の方がずっと続けたいと思える。」


また、任期満了後の継続雇用の可能性があることも今回のミッションの特徴。将来設計の「自由度の高さ」が魅力でもある協力隊制度だが、あらゆる市場が小さい過疎地域では、同時に定住後のハードルの高さにもなる。任期中に確かな技術を習得することができたら、“まきステ”をはじめ、近隣の森林組合などが欲しがる即戦力になることは間違いないだろう。 逆に、自由度の高さを活かして将来的には独立の道を目指したいという人。林業を軸に複数の生業を育てていきたいと考える人。そんな人にこそ、今回のミッションは魅力的に映るはず。募集要項の『業務内容』の中にある、『生業づくり』という項目を見てほしい。ここが、可能性に挑戦したい人へ向けた余白の部分だ。狩猟・キノコ栽培・山菜加工・木工商品の開発など、林業との相性の良い掛け合わせや、新しい林家の戦い方を模索したいという人を最大限バックアップする姿勢を町は打ち出している。 山の職人を目指すも良し。林業を武器に『山の活人』を目指すも良し。どっちか決め切らずに現場で検討するも良し。多様化の時代に突入した林業業界へ踏み込む人にとって、今回の募集は絶好の入り口と言えるのではないだろうか。



大切な応募条件

最後に。ここまで読んで少しでも気になったという人へ、一つの応募条件をお伝えしたい。それは『応募前に必ず一度は松野町へ来て、協力隊活動を視察すること』。 7年で21名の隊員を受け入れてきた松野町が行き着いた、ベストなマッチングの秘訣だ。 「来てみたら想像と違った。」「私生活に思いがけない問題があった。」などなど…挙げだしたらキリのないミスマッチの数々は、あらかじめ現地で「見て聞いて話す」ことで未然に防げるものばかり。であれば、可能な限り応募前からお互いを知りましょう、というのが松野町のスタンス。 これは林業ミッションに限らず、6つのミッション共通の応募条件だ。より意味のある視察になるよう、その人の希望ミッションや興味関心に合わせてその都度ツアー内容をオーダーメイドで組み立てている。宿泊費については補助もあり、現地での送迎・案内は現役の協力隊員が担当している。現役隊員が届けるリアルな声は評判で、中には「そんなディープな話して大丈夫なんですか」と心配する視察者も出るほど。 松野の暮らしに興味があり、何より森の国の山と仕事に何かを感じるという人は、まずは一度、答え合わせに行ってみてはいかがだろうか?美味しい食材と気さくな地元民が、きっと温かく迎えてくれるはずだ。



▲今回のミッションの視察に来た参加者と、まきステの方々



 

〇応募期間 令和3年6月1日(火)~令和3年 11 月 30 日(火)

※応募条件の一つである「現地視察」に関しては、新型コロナ感染症の状況次第で受け入れを出来ない場合があります。詳しくはお問い合わせください。


その他、詳しい応募条件などは下記の募集要項からご確認ください。

令和4年度 松野町地域おこし協力隊募集要項
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